紫式部 大貮三位 歌碑

紫式部 大貮三位 歌碑は、京都市上京区廬山寺境内にある。

平成7年(1995)9月に紫式部顕彰会が建立した石碑には、次のように刻されている。

 大貮三位
有馬山 ゐなの
ささ原 風吹けば
いでそよ人を 忘れ
やはする

 紫式部
めぐりあひて みしや
それとも わかぬまに
雲かくれにし
夜半(よは)の月影

いずれの和歌も小倉百人一首に収められている。

後拾遺集 恋ニ 七〇九 小倉百人一首第五八番
有馬山 猪名の川原 風吹けば
 いでそよひと人を 忘れやはする 大弐三位
(解説)
後拾遺集の詞書に「離れ離れ(かれがれ)になる男の、おぼつかなくなど言ひたるに詠める」とある。
作者のもとへ通ってくることも途絶えがちになってきた男が、「あなたが心変わりしたのではないかと気がかりです」などと言ってきたのでこの歌を詠んだという。
(歌意)
有馬山に近い猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと音をたてる。さあそのことですよ。
お忘れになったのはあなたのほう、私はどうしてあなたのことを忘れられるでしょうか。

新古今和歌集 雑上 一四九九 小倉百人一首第五七番
まぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
 雲がくれにし 夜半(よわ)の月影<月かな(百人一首)> 紫式部
(解説)
新古今和歌集の詞書に「早くより童友だちに侍りける人の、年ごろ経てゆき逢ひたる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきはひて帰り侍りければ」とある。
久し振りに再会できた幼友達が、ほんのわずか会っただけで、雲に隠れる月と競うように帰りましたので詠んだという歌である。
(歌意)
めぐり逢って見た月が、前に見た月であったかとも分からないうちに、雲に隠れてしまった夜中の月の光よ。
ーめぐり逢って見た人が、その人であったかとも分からないうちに、姿を隠してしまった人よ。

歌碑横の説明板には次のように記されている。→ 紫式部ゆかりの地
紫式部 大貮三位 歌碑
 大貮三位
作者は名を賢子と言い、父は右衛門權佐・藤原宣孝、母は紫式部。
長保二年(一〇〇〇年)に出生、永保二年(一〇八二年)に薨じた。
親仁親王(後の後冷泉天皇)の乳母(めのと)となり、従三位奥侍に昇進した。
三位であると共に太宰大貮・高階成章と結婚したため、宮廷では大貮三位(だいにのさんみ)と呼ばれた。
歌人としては母親に匹敵するほどの才媛で、歌集「大貮三位集」を遺した。
きわめて聡明で人徳があり、乳母典侍として、後冷泉朝の宮廷文化の昂揚に大きく寄与した。

 紫式部
紫式部は、越後守・藤原為時の娘で、名は香子(たかこ)と言ったらしい。
生年は天延元年(九七三年)頃、没年は長元四年(一〇三一年)頃と推定される。
夫・藤原宣孝の卒後、中宮・藤原彰子に仕えた。
中古三十六歌仙のひとりとされ、大作「源氏物語」のほか「紫式部日記」「紫式部集」といった作品がある。
その文名は遍く知られており、ユネスコによって、「世界の偉人」のひとりに選定されている。
   平成七年(一九九五年)九月
       文学博士 角田文衛 撰



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