陸奥宗光伯生誕地石碑は、和歌山市吹上の中央通り沿いにある。
陸奥宗光(1844-1897)は明治時代の外交官、政治家で不平等条約の改正に尽力した。
天保15年(1844)7月7日に紀州藩の重臣であった伊達宗弘の第6子として、この地に生まれた。
父は、紀州藩の勘定奉行、寺社奉行を勤めていたが、嘉永5年(1852)徳川治宝が亡くなると失脚し、田辺等に幽閉された。
宗光はこれらの苦境を乗り越え、江戸に出て勉学に励んだのち、神戸の海軍操練所に入り、坂本龍馬と行動を共にした。
幕末の紀州藩を救い、明治政府の地租改正を推進して財政基盤を整備した後、外交官となり明治21年(1888)に日本とメキシコとの間で初の平等条約締結に成功した。
農商務大臣を経て、第2次伊藤博文内閣で外務大臣を務め、明治27年(1894)イギリスとの不平等条約改正を実現し、欧米列強に認めていた治外法権を撤廃し、国家の独立自尊を護った。
日清戦争、三国干渉の難局を乗り越えた手腕は、「カミソリ大臣」と呼ばれた。
これらの業績を讃え、外務省に4体の銅像や胸像が置かれている。
当地の石碑は、没後120年を記念して、2017年に設置された。
JR和歌山駅、南海和歌山市駅からバスで日赤医療センター前下車、徒歩5分。
昭和46年には和歌山城南東の岡公園に、「陸奥宗光先生乃像」が建てられている。