陸奥八戸藩 南部家供養塔(南部通信供養塔ほか)は、和歌山県高野山奥の院22町石南にある。
武田信玄勝頼墓所の南に丹波黒井城主 赤井直正供養塔があり、すぐ南西の区画に南部家供養塔の方形墓標5基が並んでいる。
いずれの塔も同時期に建立されたもので、嘉永4年(1851)に再整備して並べられたものである。
南東(右端)から順に下記の石塔が確認できる。
写真番号 | 供養者名 | 没年 | 法名 | 備考 |
① | 陸奥八戸藩 第3代藩主 南部 通信(みちのぶ) |
享保元年 (1716) |
法林徹證三玄院 | |
② | 陸奥八戸藩 第4代藩主 南部 廣信(ひろのぶ) |
寛保元年 (1741) |
覺雲宗智正見院 | |
③ | 陸奥八戸藩 第5代藩主 南部 信興(のぶおき) |
安永2年 (1773) |
珠厳宗龍津院 | |
④ | 陸奥八戸藩 第6代藩主 南部 信依(のぶより) |
天明元年 (1781) |
禪岩宗安寶性院 | |
⑤ | 陸奥八戸藩 第7代藩主 南部 信房(のぶふさ) |
天保6年 (1835) |
仁道宗寿仙渓院 |
陸奥八戸藩は、八戸(青森県八戸市)に藩庁を置いて、南部地方を領有した外様藩である。
寛文4年(1664)南部盛岡藩主 南部重直が後継者を定めずに急死したため、
幕府の命により、重直の弟 重信に盛岡宗家8万石を継がせ、重直の異母弟 直房(中里数馬)には盛岡藩から2万石を分与して、新たに八戸藩を作らせた。
初代藩主 南部直房以降、直政、通信、廣信、信興、信依、信真と続き、9代藩主 信順は薩摩藩から就き、明治維新を迎えている。
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