明恵上人生誕の地は、和歌山県有田川町にある。
「明恵紀州遺跡 吉原卒塔婆」として、国指定史跡となっている。
明恵上人(1173-1232)は、京都高倉院の武者所につとめていた武士、平重国と有田の湯浅権守藤原宗重の四女の子として承安3年正月8日に生まれた。
治承4年(1180)正月に母を失い、同年9月父が上総国で戦死して孤児となるまでの8年間を当地で過ごした。
その後、京都栂尾に高山寺を開き、華厳宗の中興の祖として仰がれた。
明恵上人誕生の由縁を慕い、入寂後、嘉禎2年(1236)高弟義林房喜海が木製の卒塔婆を建立し、
その後康永3年(1344)に朽ちたので、比丘弁迂が一族を勧進して石づくりとしたのが現存する卒塔婆である。
明恵上人は歌人でもあったので、「フルサトノ ヤトニハヒトリ 月ヤスム ヲモフモサビシ 秋ノヨノソラ」の上人自筆の歌を刻んだ歌碑が建てられている。
JR紀勢本線藤並駅からバスで明恵ふるさと館前下車、徒歩5分。