廣普山妙國寺は、堺市堺区材木町東にある日蓮宗の寺院である。
1561年に畿内を支配していた三好四兄弟の一人である三好義賢(実休)が、日珖上人に帰依し、大蘇鉄を含む東西3丁、南北5丁の敷地と寺領5百石を寄進した。
1562年、義賢は久米田の戦いで討死するが、日珖上人の父の堺の豪商油屋常言と兄の常祐が造営料を寄進して、1568年に堂塔伽藍が完成した。
寺号は、日珖上人の師僧日祝の院号「妙國院」から廣普山妙國寺とされた。
大坂夏の陣で焼失後、寺は復興したが、1945年の堺大空襲で伽藍の大半を焼失し、戦後に現在の建物が再建された。
境内に残る大蘇鉄は樹齢千百年余りとされ、国の天然記念物に指定されている。
織田信長がソテツを安土城に移植させたが、毎夜「堺に帰りたい」という声が聞こえ、怒った信長が切らせたところ、ソテツの切り口から鮮血が流れ、気味が悪くなり、堺に戻されたとの伝説が残っている。
1582年の本能寺の変の際に、徳川家康が宿泊していたのがこの寺で、家康は数少ない手勢とともに、伊勢から三河に戻って難を逃れた。
宝物資料館には、1868年の堺事件で切腹した土佐十一烈士の遺品やルソン壺など多くの資料が展示されている。
阪堺電気軌道阪堺線妙国寺前駅徒歩5分。参拝者用の駐車場がある。(Y.N)