土佐十一烈士墓

土佐十一烈士墓は、堺市堺区の宝珠院の境内にある史跡である。
明治維新の堺事件で切腹した土佐藩士箕浦猪之吉以下11人の墓がある。
堺事件とは、慶応4年(1902年)2月15日夜明け、大阪港内を測量中、堺へ上陸したフランス軍艦デュプレー号水兵と、堺を警備していた土佐藩士とが衝突し、土佐藩士の発砲により、フランス兵に十数名の死傷者が出た。
そのため、フランス側は事件に関わった者の処刑、15万ドルの賠償など5か条の謝罪を要求した。
当時の政府は、六番隊長箕浦猪之吉、八番隊長西村佐平次以下20名の土佐藩士の切腹を命じ、切腹は妙国寺境内で、フランス軍士官立会いの下で行われた。
しかし、凄絶な切腹風景に、フランス軍士官は、11名が切腹し終えた時点で、立会の外国事務局判事 五代才助(友厚)に中止を申し入れた。
切腹した11名の遺骸は、前土佐藩主山内容堂らにより、宝珠院に葬られて手厚く弔われた。
宝珠院は、栄亮大僧正の開基で真言宗高野派叡福寺に属し、本尊は虚空蔵菩薩である。
妙国寺には、土佐烈士切腹跡の碑と、土佐藩士供養塔があり、本堂内に藩士の遺品等が残されている。
堺事件は、森鴎外や、司馬遼太郎(俄-浪華遊侠伝の「泉州堺」)作品を初め、多くの小説などで描かれている。
阪堺電気軌道阪堺線妙国寺前駅徒歩5分。(Y.N)



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