妙教寺 淀古城跡

妙教寺、淀古城跡は、京都市伏見区納所(のうそ)北城堀にある。
淀古城については、文明10年(1478)山城国守護が淀に入部するとの記事があり、山城国下5郡(山城国北半部)の守護所が置かれたという。
豊臣秀吉は、この淀古城を改修し、側室茶々(淀殿)が出産をする城とした。淀城で生まれた鶴松は三歳で病死し、秀吉は文禄3年(1594)に淀城を廃城とし、資材の多くは伏見城建築に使用された。
妙教寺は、寛永3年(1626)大坂の富豪商人、法華又左衛門尉貞清の発願により、淀古城下の一角に建立された法華宗真門流の寺院である。
宝泉院日孝を開山上人に仰ぎ、寺地は新しい淀の初代城主、松平定綱から寄進を受けた。→ 淀城跡、與杼(よど)神社
18世紀初頭、付近の大火で山門、鐘楼を除き伽藍を焼失した。現在の本堂は天保11年(1840)に再建されたものである。
慶応4年(1868)戊辰戦争鳥羽伏見の戦いでは周辺が戦場となり、1月4日本堂の壁、柱を砲弾が貫通し、その砲弾が保存されている。
境内には淀古城跡の碑や榎本武揚揮毫の戊辰之役東軍戦死者招魂碑、戦没学徒木村久夫の碑、当山鎮守きつね「小満・小女郎」の塚がある。
京阪本線淀駅下車徒歩10分。



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