ノルマントン号遭難碑は、和歌山県那智勝浦町の狼煙山(現ホテル浦島)にある。
明治19年(1886)10月24日夜、横浜から神戸に向かって航行していたイギリス貨物船ノルマントン号が、熊野灘で暴風雨のため沈没した。
事故翌日、樫野崎灯台看守が漂流中の2隻のボートを発見し、樫野区長に報告している。
たまたま前日から出張で樫野に来ていた大島村の木野仲輔(きのなかすけ)は、地元の漁師に救助を要請し、漁師141名が9隻の漁船で救助に向かい、2隻のボートを発見して12名を救助した。
また、ウィリアム・ドレーク船長ら14名のボート2隻は、自力で串本の下浦海岸に上陸した。
しかしながら、日本人乗客25名は全員水死し、同年11月に沈没海域と推定された山成島沖に近い当地に木碑が建立された。
その後、昭和10年(1935)、遭難から50年の法要の際に、遭難した八谷種次郎氏(佐賀県出身、当時29歳)の遺児 高北良千代さんが石碑を建立したものである。
石碑には、「英國商船諾曼頓號沈没之碑」と刻されている。
沈没事件後、この事件が、不平等条約撤廃を求める世論が高まるきっかけとなったことでも知られている。
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