黄梅院

黄梅院(おうばいいん)は、京都市北区大徳寺の塔頭寺院である。
永禄5年(1562)織田信長が父 織田信秀の追善菩提のため、羽柴(豊臣)秀吉に命じて建立した小庵に始まる。
大徳寺98世住持 春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)を開祖に迎え「黄梅庵」と名付けられた。
天正14年(1586)には、豊臣秀吉が本堂と唐門を改築し、天正17年(1589)には毛利元就の子 小早川隆景により庫裏と表門が改築され、この年に「黄梅院」と改められた。
寺名は小早川隆景の院号で、小早川家断絶後は、宗家の毛利家が檀越となった。
庫裏は日本の禅宗寺院において現存する最古のものといわれている。
豊臣秀吉の希望により千利休が作庭した枯山水の「直中庭(じきちゅうてい)」のほか、「破頭庭(はとうてい)」「作仏庭(さぶつてい)」など、禅寺の風情ある美しい庭園を有している。
本堂の襖絵「竹林七賢図(ちくりんしちけんず)」は、雪舟の画風を継ぐ雲谷等顔(うんこくとうがん)の代表的な水墨画で、重要文化財に指定されている。
檀那の間には、「西湖図」、礼の間には、「芦雁図」が描かれている。
書院には、千利休の茶道の師である武野紹鴎好みの茶室「昨夢軒(さくむけん)」がある。
墓所には、織田信秀、毛利元就夫妻、元就の息子三兄弟、信長の次女とその夫 蒲生氏郷、毛利一族などが祀られている。



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