上野小幡藩 織田家供養塔

上野小幡藩 織田家供養塔は、和歌山県高野山奥の院34町石南西にある。
奥の院参道西側山手の織田信長墓所と同じ段北側に位置する。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地墓域内には、小型五輪塔3基、櫛形墓標8基がある。
各石塔の概要は次の通り。(水原堯榮氏「高野山金石図説」ほか参照)

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考  
 ① 高畠藩 2代藩主
天童藩 初代藩主
織田 信美(のぶかず)
天保7年
(1836)
恭徳院殿
清巖良義大居士
建立者
織田伊勢守信學 
信長13世孫 
 ② 小幡藩 7代藩主
織田 信邦(のぶくに)
天明3年
(1783)
浄翁院殿
黙巖了然大居士
建立者
織田左近将監信浮 
信長9世孫 
 ③ 織田信美室 文化13年
(1816)
守節院殿
貞室妙璨大姉
建立者
織田百太郎信美 
 
 ④ 高畠藩 初代藩主
織田 信浮(のぶちか)
文政元年
(1818)
瑞岡院殿
徳巖俊峯大居士
建立者
織田百太郎信美
信長10世孫 
織田信久の世嗣
織田 信盛 
貞享2年
(1685) 
霊源院殿
皎巖涼潔大居士 
記述なし   
小幡藩 初代藩主
織田 信良(のぶよし) 
寛永3年
(1626) 
心芳院殿
松巖源清大居士 
建立者
織田信良内記 
織田信雄4男 
小幡藩 2代藩主
織田 信昌(のぶまさ) 
慶安3年
(1650) 
寶泰院殿
高巖英志大居士 
記述なし   
小幡藩 3代藩主
織田 信久 
正徳4年
(1714) 
凌雲院殿
嶮巖維峻大居士 
建立者
織田美濃守信就 
信長5世 
小幡藩 4代藩主
織田 信就(のぶなり) 
享保16年
(1731) 
乾瑞院殿
享巖元貞大居士 
建立者
織田若狭守信右 
信長6世 
小幡藩 5代藩主
織田 信右(のぶすけ) 
寶暦12年
(1762) 
桃溪院殿
仙巖宗壽大居士 
建立者
織田和泉守信富 
信長7世孫 
⑩の南  小幡藩 6代藩主
織田 信富 
明和元年
(1764) 
南溟院殿
搏巖宗翼大居士 
建立者
織田五百八信邦 
信長8世孫 




織田家墓所として、上記西向き石塔11基(小幡藩、北畠藩、天童藩)の他に、東向き石塔7基があり、
高野山金石図説には、織田信長七男 信高の子孫(信高流)(信直、長孺、長裕関係)3基の碑文が紹介されている。



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