織田秀信卿の墓

織田秀信卿の墓は、和歌山県高野山の光臺院にある。

愛甲昇寛氏編「高野山史料ー五輪塔拓影集ー」によると、五輪塔地輪には次のように刻されている。
慶長十年
濃刕岐阜前黄門
     圭岩貞松
(梵字)爲大善院殿
     大居士
平朝臣秀信公
七月念(廿の代用字)七日

織田秀信(1580-1605)は、織田信忠の長子で幼名は三法師と呼ばれた。
本能寺の変後、清須会議で豊臣秀吉に擁されて織田家の後継に決まり安土城に入った。
その後岐阜に移り、秀吉から一字を与えられて秀信とした。
関ケ原の戦いで石田三成につき、岐阜に籠城したが陥落し、高野山に幽閉された後、慶長10年7月27日に病死した。
橋本市には、終焉の地の碑が建てられている。

当院の拝観は、お参り客と宿泊客に限られている。
南海高野線高野山駅からバスで交番前下車、徒歩5分。




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