織田信長父子廟

織田信長父子廟は、岐阜市長良福光の崇福寺にある。
崇福寺は永禄7年(1564)に住職を継いだ栢堂景森(はくどうけいしん)が、織田家菩提所として指定されるよう尽力し、
永禄10年(1567)に信長が岐阜に移った際、側室であった吉乃(きつの)(久庵桂昌(きゅうあんけいしょう))の位牌を崇福寺に移したことで織田家の菩提所となった。
天正10年(1582)本能寺の変で信長と信忠が自刃した際には、信長の側室であったお鍋の方は、すぐさま崇福寺に「信長の位牌所であるためこの寺に違乱(いらん)してはいけない」との書状を与えるなど、
崇福寺と織田家の間には深い結びつきがあった。
墓標(高さ139cm)には、向かって右側に信長の法名「摠見院殿贈一品大相圀泰岩大居士(そうけんいんでんぞういっぽんだいそうこくたいがんだいこじ)」、
左側に嫡男 信忠の法名「大雲院殿三品羽林高岩大禅定門(だいうんいんでんさんぽんうりんこうがんだいぜんじょうもん)」が並んで刻まれている。
また、墓標の東側に建つ位牌堂(宝形銅葺屋根木造彩色)には、信長と信忠の位牌2基が安置されている。



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