お里・沢市の墓は、奈良県高市郡高取町信楽寺(しんぎょうじ)にある。
現地の案内板には、次のように記されている。
お里・沢市の墓
壺阪の 月に杖ひく 夫婦かな
「日本感霊録」に九世紀初めの弘仁年中、盲目の沙弥が壺阪観音の信仰で開眼治癒したという話があり、(「壺阪寺古老伝」に記されている)
すでにこの頃から本尊の十一面千手観音は民間の信仰を集めていたことがわかる。
これは後世のいわゆる盲人開眼「壺坂霊験記」の原型になったものである。
この「お里・沢市」の物語は今より三百年以上も昔(寛文年間)壷阪寺のふもと、
大和国高取郷土佐町に住む沢市という盲人と妻 里の夫婦愛をテーマにした「観音霊場記」に二世豊沢団平と妻の千賀女が加筆したものであり、
浄瑠璃、歌舞伎に浪曲にとこの夫婦純愛物語は日本国中さらに海外にまで知れ渡っている。
この案内にあるように、観音信仰で開眼するという宗教的霊験譚から、生人形、浄瑠璃、歌舞伎、講談、浪花節などの芸能 壺坂霊験記に取り入れられる過程を、
細川明宏氏は、著書「近代芸能文化史における『壺坂霊験記』」で鮮やかに描き出している。
高野山奥の院には、壺阪観音霊験記作者の二世豊沢団平の墓所(初代豊澤團平墓)がある。
近鉄吉野線壺阪山駅下車、徒歩20分。
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