西行法師像

歌聖西行法師像は、和歌山県紀の川市にある。
西行法師(1118-1190)は、俗名を佐藤義清(のりきよ)といい、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての代表的歌人である。
佐藤氏は、田仲荘・池田荘(旧打田町)の在地領主で、代々京都に出仕して左衛門尉(さえもんのじょう)や検非違使等の官職を勤めた。
西行も保延元年(1135年)、18歳で左衛門尉となり、北面の武士として鳥羽上皇を護衛していたが、保延6年(1140年)に23歳で突然出家した。
出家後は、歌道の研鑽、諸国行脚の日々を送り、宗教、文学、政治、芸能など、多方面で活躍した。
西行が育ったとされる紀の川市竹房は、西行法師像から500m東の地にあり、付近には「佐藤城址」という通称名が残っている。
西行は、建久元年(1190年)73歳で、河内国弘川寺で生涯を閉じた。
約2mのブロンズ像の台座には、次の歌が刻まれている。
  歎けとて 月やはものを 思はする 
   かこち顔なる わが涙かな
JR和歌山線打田駅から車で約10分。来訪者用の駐車スペースがある。



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