出羽庄内藩主 酒井忠義(長壽院)供養塔

出羽庄内藩主 酒井忠義(長壽院)供養塔は、和歌山県高野山奥の院31町石南東にある。
出羽庄内藩主 酒井忠当供養塔の南(右奥)に位置している。
五輪塔地輪には次のように刻されている。
天和元辛酉年
    長壽院殿四品
(梵字)前金吾英譽
    法安養世大居士
十一月七日
(西面)
羽刕庄内靏岡城主四品
前酒井左衛門尉源朝臣
忠義公爲成等正覺也
(東面)
施主孝子酒井小五郎忠眞
造立焉
(南面)
宿坊
   大徳院宥豫
奉行
   鈴木長左衛門重孝

酒井家は松平氏最古参の譜代として初代忠次以来、徳川家に仕えてきた。
酒井忠義(1644-1681)は、酒井家5代目の当主である。
庄内藩主第4代酒井忠当(ただまさ)の長子として、寛永21年7月5日に江戸で生まれた。生母は松平信綱の娘である。
万治元年(1658)従五位下、左衛門尉に叙任、万治3年5月出羽鶴岡藩主 酒井家第5代として17歳で家督を継いだ。
祖父で知恵伊豆と呼ばれた老中松平信綱が寛文2年(1662)2月に没するまで後見役として藩政全般を指導した。
寛文2年(1662)従四位下に任ぜられる。
高力忠兵衛(こうりきちゅうべえ)を郡代に抜擢し、藩の財政改善を図るが、農民の不満をつのらせ、忠兵衛は失脚した。
茶道をよくして珍器を収集、能書家としても著名。
天和元年11月7日38歳で死去し、家督は12歳の嫡男 酒井忠眞(ただざね)が継いだ。



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