櫻井神社は、兵庫県尼崎市にある。
祭神は、櫻井信定公と尼崎藩主であった七柱である。
櫻井神社は、明治15年(1882)尼崎城の西二の丸跡に創建され、国道43号線用地になったため、昭和36年(1961)西三の丸跡の現在地に移った。
松平(櫻井)信定所用の甲冑や天主閣の棟瓦などの文化財が残されている。
本社殿前には、尼崎城外堀の石杭句碑がある。
元和4年(1618)尼崎城築城当時、外堀に架かっていた橋の石杭である。
正面に櫻井忠告公の次の俳句が刻まれている。
先づ霞む 竃々や 民の春
亀文
境内には、博愛社記念碑がある。
この碑は、幕末の尼崎藩主櫻井忠興が、日本赤十字社結成に際し、多大な奉仕活動を行った事蹟に対して、その功績を称えるために旧尼崎城の石を使って建てられたものである。
櫻井忠興は弘化4年(1847)尼崎で生まれ、文久元年(1861)14歳で尼崎藩主となった。
このとき藩の儒者 服部元彰が部下となって藩主忠興を支えた。
明治維新後、西南戦争(1877)が起こると、忠興は私財によって医師、看護師を現地に派遣し、敵味方の別なく負傷兵を手当てした。
これが「博愛社」の起こりで、明治20年(1887)5月20日に「日本赤十字社」と改称された。
「日本赤十字社」の社則は、その事務所が置かれた東京都千代田区の櫻井邸で協議起草された。
本社殿西側には、学問の神「契沖社」がある。
国学の祖 契沖を祀る祠である。契沖(1640-1701)は、尼崎城西三の丸(当所)で出生し、11歳までこの地で過ごした。
櫻井神社北側には、契沖生誕の比定地がある。
阪神電鉄尼崎駅から徒歩6分。
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