契沖生誕の比定地

契沖生誕の比定地は、兵庫県尼崎市北城内にある。
契沖(1640-1701)は、江戸時代前期の古典学者、歌人、僧侶である。
寛永17年(1640)、尼崎藩士下川元全(もとたけ)の三男として、この地で生まれた。
幼少時、父母から「実語経」などを学び、5歳で母の教えた「百人一首」を暗記したという。
11歳で大坂今里の妙法寺の丯定(かいじょう)の弟子となった。
13歳から高野山の東室院快賢のもとで修業し、23歳で大坂の曼陀羅院の住職となり、24歳で阿闍梨となった。
そのころから、下河辺長流を知り古典研究を始め、各地で寄寓して和漢の書を読破した。
39歳で妙法寺住職となり、51歳ごろから62歳の死去までは、創設した高津円珠庵(えんじゅあん)で隠棲して著述に専念した。
元禄14年(1701)1月25日没。妙法寺と円珠庵に墓所があり、高野山奥の院には供養塔が建てられている。
契沖は、水戸光圀から依頼され「万葉集」の全注釈書「万葉代匠記」を著し、歴史的仮名遣いを発見、体系化した「和字正濫鈔(しょうらんしょう)」も著している。
また、和歌については、新古今調で写実的な歌を詠み、「契沖和歌延宝集」「漫吟集」などに6000首以上収められている。
尼崎中央図書館西北側には、契沖頌歌の石碑がある。
また、当地のすぐ南にある櫻井神社境内には、学びの社 契沖社がある。
阪神電鉄尼崎駅下車、徒歩5分。東側には、尼崎城の有料駐車場がある。



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