晴明塚

晴明塚は、大阪府河内長野市原町にある。
石碑には次のように刻まれている。
(西面)晴明塚
(南面)さかい 神南邊 → 神南辺道心の墓
碑の前の燈籠には次のように刻されている。
(西面)五條天神宮
(北面)明和四亥年九月日
(東面)若者中

日本歴史地名体系「原村」の項には、次のように記されている。
元禄五年(一六九二)の寺社吟味帳(吉年家文書)によると、天神宮は長野庄の一宮で、棟札に「寛政六年乙酉年七月朔日、畠山本庄中村道固」と書かれていたという。(中略)
字石坂に封土の高さ三尺、周囲七間の小墳があり、晴明塚と刻まれた石碑と石灯籠があったという(大阪府全志)。
陰陽師阿倍晴明の文書を埋めたと伝える。

安倍晴明(921-1005)は、平安時代中期の陰陽道の達人で、天文博士などを歴任した。
言い伝えでは、安倍晴明の埋めた文書は、「卦書」だといわれる。
安倍晴明が高野山に参詣するため、原町を訪れた時は、日照りが続いていた。
その時出会った旅人は「三日以内に雨が降る」と告げたという。
そこで晴明が卦を占うと、百日の間、旱魃が続くと出た。
にもかかわらず、実際には三日目に雨が降ったため、晴明が卦が当たらないことを嘆き、自身の卦書を原村石坂に埋めたという。



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