三谷坂は、和歌山県かつらぎ町にある高野参詣道で、国史跡に指定されている。
三谷坂の総延長は4.7kmで、丹生酒殿神社から丹生都比売神社を経て、高野山町石道に合流し、高野山へ至る参詣道である。
この道は、古くから丹生酒殿神社のところに住まいした丹生都比売神社惣神主(宮司)が通ったと伝わり、皇族や勅使にも利用されたことがわかっている。
道が良く、水はけも良いことから、平安時代に覚法法親王(白河天皇の第4皇子)によく利用されていたことも文献に記されている。
大正時代に丹生都比売神社が県社から官幣大社に昇格した際には、それを伝える勅使が通ったところから、勅使坂とも呼ばれている。
三谷坂周辺には、宮滝、鋒立て岩など丹生都比売に縁のある自然景観のほか、笠石、頬切地蔵といった中世に遡る石造物が残されている。
三谷坂は、平成28年(2016年)10月「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録された。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩25分。
平和祈念像は、和歌山県かつらぎ町かつらぎ公園にある。
和歌山県出身の洋画家・彫刻家の保田龍門(1891-1965)が原型をデザインしたもので、高さ18m(台座を含めると22m)のコンクリート製の像である。
万国戦没者の精霊を供養し、平和を祈念するために、昭和34年(1959年)に着工し、昭和36年(1961年)に像が完成した。
その後、全国から浄財を募って建物の建設が進められ、昭和45年(1970年)に完成した。
像の台座部分は、世界44か国から集めた小石が礎石に組み込まれている。
当時の外務大臣であった藤山愛一郎の協力で、在外公館を通じてそれぞれ由緒ある小石を収集したもので、残った小石の一部は、建物内に展示されている。
建物内には、地蔵菩薩像が安置されており、毎月24日には、建物の扉が開放される。
毎年3月24日には、春の大祭が行われ、新入学児童の稚児行列が行われ、8月には万国戦争犠牲者の慰霊祭が開催される。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩5分。
丹生酒殿神社は、和歌山県かつらぎ町にある神社である。
天照大神の妹神「丹生都比売大神」降臨の地とされる神社で、裏山の榊山(さかきやま)に降臨の際、酒を献じたことが神酒の起源となり、丹生酒殿神社と呼ばれるようになったと伝えられている。
天平年間の頃に作成された「丹生大明神告門(のりと)」によると、丹生都比売大神は、、神代この紀伊の国奄太村(あんたむら)石口に降臨したと記されている。
祭神は、丹生都比売大神、高野御子(たかのみこ)大神である。旧村社
12世紀半ば以降、高野山が寺領拡大のために作成した文書である「御朱印縁起」所収の「山図」によると、「伊都郡三谷村」の領域内に「丹生高野酒殿」と記されている。
建暦2年(1212年)正月二七日の酒殿社神主職譲状(丹生家文書)があり、天野社(丹生都比売神社)惣神主 丹生則道から孫の友家に神主職が譲渡されている。13世紀初めには、天野社惣神主は酒殿神社神主を兼帯していることがわかり、丹生酒殿神社は、高野山開創に深く関わった丹生都比売神社との関係が極めて深く、12世紀まで遡ることのできる史跡である。
丹生酒殿神社は、平成27年に国史跡に指定され、平成28年10月には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。
毎年、11月中旬から12月初旬には、神社のシンボルにもなっている大きな銀杏の木を黄金色に美しくライトアップする。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩25分。
鎌八幡宮は、和歌山県かつらぎ町の丹生酒殿神社社殿の南側にある。
もとかつらぎ町兄井の産土神であったが、明治42年(1909年)現在のかつらぎ町三谷の丹生酒殿神社に合祀された。
イチイガシの大樹をご神体としている。
天保6年(1835年)3月の仁井田好古撰「三谷荘兄居村鎌八幡記」によると、当社の神体は神功皇后が三韓出兵のとき用いたという幡と熊手(長さ4.1m、先に3本の鉤がある)で、
讃岐国屏風浦(現香川県多度津町)に佐伯八幡として祀られていたが、空海が高野山を開いた時ついてきたため、イチイの木を憑代として祀ったという。
幡と熊手は、「巡寺八幡」講の神体として永く高野山に祀られていたが、神仏分離により明治2年に兄井の旧鎌八幡宮に遷座し、明治42年に丹生酒殿神社に合祀された際、同社に納められた。
巡寺八幡のもう一つの御神体であった弓矢と鉾は、高野山の霊宝館に保存されている。
「三田荘兄居村鎌八幡記」を刻んだ石碑も丹生酒殿神社の社前に移されている。
無病息災、子宝、受験諸々の願かけのご祭神として鎌が打ち込まれている。
その願いが成就する時は次第に深く突き刺さっていくが、叶わぬ時は抜け落ちるともいわれている。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩25分。
宮滝は、和歌山県かつらぎ町の丹生酒殿神社の西の谷にある滝で、明神の滝とも呼ばれている。
丹生酒殿神社が丹生都比売神社に属していたころ、丹生都比売神社の神主がこの滝でキュウリを供えて神事を行っていた。
神事の後で供えられたキュウリを子供に食べさせると、疱瘡(天然痘)が軽くなったと言われている。
紀伊続風土記には、宮ノ滝とも書かれており、「河童の患いも免れた」との記述がある。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩30分。
笠石は、和歌山県かつらぎ町の国史跡三谷坂にある埋込式の笠塔婆である。
塔身高は112cmで、塔身幅は15cm、笠幅は65cmである。
丹生酒殿神社から約1km南に立つ石造物である。
弘法大師空海が高野山に登る途中に、かぶっていた笠が雨引山(あめびきやま)から、風に飛ばされてこの石にかかったという伝承が残る。
笠塔婆に分類できるが、塔身の上端を尖らせて笠を突きやぶり、笠の上の宝珠は造らず塔身の上端をその代用とする、特異な形態である。
この形態は、木製卒塔婆の名残とされており、大変貴重である。
塔身上部には、蓮弁に座す像高14cmの阿弥陀如来坐像を半肉彫する。南北朝時代に作られたと推定されている。
三谷坂は、平成28年(2016年)10月「紀伊山地の霊場と参詣道」に高野参詣道として、世界遺産に登録された。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩45分。
鋒立て岩(ほこたていわ)と経文岩(きょうもんいわ)は、和歌山県かつらぎ町の国史跡三谷坂沿いにある。
鋒立て岩は、丹生都比売神が鋒を立てたといわれている岩で、もとは現在より大きかったが、道路工事の際に切断された。
鋒ノ御跡岩ともいわれ、紀伊続風土記の三谷村の項には次のように記されている。
○鋒ノ御跡岩
榊山の南十町、 権兵衛坂といふにあり 丹生津姫尊天野へ御通ひの印石といふ
岩に鋒の跡あり
経文岩は、経文が書かれた岩を意味すると思われるが、現在のところ、文字や、文字が刻まれた痕跡等は、確認されていない。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩60分。
涙岩は、和歌山県かつらぎ町の国史跡三谷坂沿いにある。
かつてこの谷を流れる清水は、どんな日照りにもかれることなく、人々の渇きをいやし、下流の田畑を潤していたので、村人がこの舌状の岩を涙岩と呼び、岩を伝って流れ落ちる水を拝水(おがみみず)を言うようになったといわれている。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩70分。
頬切地蔵は、和歌山県かつらぎ町の国史跡三谷坂沿いにある。
標高179mに立地する石造物で、自然石から一重塔を作り出す。
仏の加護によって目の病を治した人がその功徳を多くの人に伝えるため、山中の自然石に三体の仏を刻んだものである。
三側面に一躯ずつ如来を半肉彫し、背面を自然石のままとする特異な形態のもので、全国的に類例がない。
三躯は、金剛界大日、釈迦、阿弥陀で、大日如来の頬に節理による裂け目があって頬に傷があるように見えることから、首の上の病に効くといわれ、地蔵信仰とあいまって「頬切地蔵」と呼ばれている。
いずれの像もふくよかな蓮弁に座していて、二重円光を薄肉彫した中に刻出された如来もふくよかな造形をなしている。
鎌倉時代初期の作とされている。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩90分。
まっとう岩は、和歌山県かつらぎ町の国史跡三谷坂沿いにある。
周辺が杉林となる前までは、遠く紀ノ川の対岸からもよく見えたため、天野を目指す人の目印となったとされている。
「まっとう」の語源は、不詳だが、目印ということから「的」を意味すると言われている。
JR和歌山線妙寺駅下車、徒歩約2時間。
丹生都比売神社は、和歌山県伊都郡かつらぎ町天野の里にある神社である。
丹生都比売(にうつひめ)は天照大神の妹にあたり、雅日女命(わかひるめのみこと)ともいわれる。
全国にある丹生神社は88社、丹生都比売大神を祀る神社は108社で、当社はその総本社である。
日本書紀に、「天野の祝」として当神社の宮司の記載があり、創建は1700年以上前であると伝えられている。
弘法大師空海が、白黒2頭の犬を連れた狩人(高野御子大神)に高野山に案内され、丹生都比売の神領から高野山の地を譲られたとする高野創建伝説が残されている。
祭神は、丹生都比売大神、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)、大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)、市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)の「高野四所明神」で、第一殿から第四殿にまつられている。
現在の本殿は、室町時代に復興されたもので、第一殿は一間社春日造りでは日本一の規模で、楼門とともに重要文化財に指定されている。
本殿の四棟は金剛峰寺の方角を意識して北西に面して建っている。
社宝として、銀銅蛭巻太刀拵(国宝)、木造狛犬(重要文化財)、木造渡金装神輿(もくぞうときんそうしんよ)(重要文化財)などがある。
木造渡金装神輿は、鎌倉時代からの「浜降り(はまくだり)神事」に用いられたもので、現在の神輿は室町時代に作られたものである。
浜降り神事は、当社から和歌浦にある玉津島神社まで、船に神輿を載せて紀ノ川を下るもので、初代の神輿は道中に波に流され失われた。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして、2004年に世界文化遺産に登録されている。
JR和歌山線笠田駅から、かつらぎ町コミュニティバスで「丹生都比売神社」バス停下車すぐ。
京奈和自動車道紀北かつらぎインターチェンジから、国道480号線を車で約20分。参拝者用の駐車場がある。(Y.N) 関連項目石造五輪卒塔婆群
石造五輪卒塔婆群は、和歌山県かつらぎ町の丹生都比売神社東隅にある史跡である。
和歌山県の文化財に指定されている。
鎌倉時代末期(1293年)から南北朝時代(1336年)に、大峰修験者(山伏)がこの地で修法して建てたもので、神仏習合を示すものである。
元は神社輪橋を渡った所に建っていたが、明治維新の神仏分離により現在地に移された。
その東には、光明真言曼荼羅碑が建っている。
寛文2年(1662年)建立で、正面の円形部分に下から時計の針回りに梵字で光明真言が刻まれている。
この頃から光明真言講が形成され、この形の碑が建てられるようになった。
脇の宿石厨子は、内部に葛城修験の本尊「役の行者」の石像が安置されている。
葛城修験は、毎年4月7日に丹生明神の神体を山伏の笈に移し、脇の宿にこもり、5月4日かつらぎ町天野を出発して、加太から大和二上山まで28宿49院を巡って、6月18日に神体を神社に還す神選祭まで修行を行うものである。
JR和歌山線笠田駅からコミュニティバスで丹生都比売神社下車。(Y.N)