雪山道人慧海師供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
この塔は、雪山道人河口慧海の供養塔で、昭和55年に「慧海の会」によって建立された。
五輪塔横の石碑には、次のように刻されている。
この塔は、我国最初のヒマラヤ踏破者 日本チベット学の始祖 在家仏教の首唱者である 雪山道人、河口慧海師の供養塔である。
師は慶応二年堺市に生る。宇治黄檗山にて一切蔵経を讃誦し、仏典の正解は原典のチベット訳に依るべきを悟り、
明治卅三年、印度よりネパールに入り、単身ヒマラヤの嶮を越え、鎖国の秘境チベットに潜入す。
セラ大学に学び、法王の知遇を受け、帰国する際多くのチベット蔵経を将来す。
後再びチベットに入り、チベット蔵経、梵語蔵経、並に仏像、仏具、博物標本等を得て帰国す。
これらは東京大学等に所蔵されている。
師は持戒堅固、肉食妻帯を退く。諸大学にチベット学を講じ、仏教宣揚会を設立、在家仏教により正真の仏教を説く。
梵蔵仏典の和訳、西蔵文典、在家仏教、正真仏教、チベット旅行記等の著あり。
戦禍国中に及ぶも、蔵和辞典の編纂に努む。昭和廿年二月、東京都にて円寂す。
昭和五十五年十月供養塔を建つ。
慧海の会
斎藤儱次郎 松本常太郎 宮崎房雄 服部融泰
昭和五十四年十月吉辰
高野山前官 真快題之
南海高野線高野山駅からバスで奥の院口下車、徒歩5分。