赤阪城跡(下赤阪城跡)

赤阪城跡(下赤阪城跡)は、大阪府千早赤阪村にある国史跡である。
千早赤阪中学校の一帯が下赤阪城跡となっており、14世紀に楠木正成(1294-1336)によって築城されたといわれている。
標高185.7mの台地の先端部を利用した平山城で、台地上に本丸、二の丸、三の丸が地名として残っている。
元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕計画が発覚し、後醍醐天皇が笠置山へ逃れた。
楠木正成は、これに呼応して同年9月この地で挙兵し、護良親王も当地に身を寄せたと伝えられている。
10月17日から21日にかけて幕府軍が攻め寄せてきたため落城し、正成は金剛山へ後退した。
その後、元弘2年(1332)4月に、楠木正成が紀伊の湯浅定仏(じょうぶつ)らを破って城を奪還したが、その後も攻防戦が繰り返された。
城としての遺構は明確になっていないが、千早赤阪村役場の上付近が、主部(本丸)であったといわれており、北側500mのところに本丸跡の石碑が建てられている。
昭和9年3月に国史跡に指定された。当地から約1.5㎞東方に上赤阪城跡(楠木城跡、国史跡)がある。
城跡に石碑が建てられており、西側には日本の棚田百選に選ばれた下赤阪の棚田が眺められる。
近鉄長野線富田林駅からバスで千早赤阪中学校前下車すぐ。


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