新門辰五郎の先祖供養塔

新門辰五郎の先祖供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
明智光秀供養塔の北東にある。
墓石前面には、丸に二本算木の紋、先祖代々墓、江戸 新門の文字が刻されている。
墓石側面には、次のように刻されている。
 慶應二丙寅年七月建立之
     江戸浅草
 施主   新門辰五郎
       同  ぬ い

新門辰五郎(1800-1875)は、江戸時代末期の町火消(まちびけし)、侠客である。
錺(かざり)職人の家に生まれ、上野輪王寺に仕える町田家の女婿となり、浅草寺に新設された門の番人となったことから、新門を名のった。
有馬家の大名火消との喧嘩がもとで捕らえられ、佃島に送られたが、獄中で弘化3年(1846)正月の江戸大火に遭い、囚人を指揮して消火に大活躍したことで、特赦された。
文久2年(1862)一橋(徳川)慶喜の上京に随行し、京都で禁裏警護の任を果たした。
慶応3年(1867)の大政奉還の後、徳川慶喜が大坂から江戸に逃れた際、大坂城に残されていた家康以来の金扇の大馬印を取りに戻り、これを掲げたまま東海道を下って無事送り届けたという。



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