塩津浜 常夜燈公園 歌碑

塩津浜 常夜燈公園 歌碑は、滋賀県西浅井町塩津浜にある。
かつて塩津湊は、北陸道と大津 京を結ぶ琵琶湖水運の要衝であった。
そのため、越前国の敦賀と塩津湊を結ぶ「塩津街道(海道)」が繁栄し、常夜燈は旅人たちの目印や灯台の役割を果たしていたといわれている。
当地の常夜燈は天保5年(1834)に建てられたもので、南北に走る塩津街道と東西にのびる牛賀道が交差するこの地の馬荷役が大神宮に奉納したもので、台座には「海道繁栄」「五穀成就」「馬持中」と刻まれている。
この街道は、平安時代に越前国司として下向する藤原為時一行が通ったことから、父 為時に同行した紫式部の歌碑が建てられている。→ 紫式部ゆかりの地
歌碑には、次の紫式部の和歌と万葉歌(巻11-2747)が刻されている。

 歌碑の和歌 解   説
 知りぬらむ
 ゆききにならす塩津山
よにふる道は
 からきものぞと
   紫式部
 紫式部集に収められている和歌である。
輿に乗って塩津街道の深坂越えをしていた紫式部は、
自分の輿を担いでいる人夫が峠の坂の険しさに愚痴をこぼすのを聞いて、
人生の世知辛さと塩津山の塩辛いを掛け、
「世の中というのは塩津山の道のように厳しいものなのです」と詠んだ。
 あぢかまの
 塩津をさして漕ぐ舟の
名を告(の)りてしを
 逢はざらめやも
   読人不詳
 万葉集巻11「古今相聞往来歌類の上」所収
味鎌の 塩津をめざして 漕ぐ船の 
名は打ち明けたのだもの 逢ってくれないことがあろうか
「あぢかまの」は、地名であるとする説と枕詞であるとする説がある。
「名は告りてしを」は名を相手に告げて結婚の意思の表明をすること。
               (日本古典文学全集8万葉集(3) 参照)

歌碑裏面には、「塩津海道と常夜燈」の説明文がある。
福井県敦賀市にも同じ紫式部和歌の解説板が設置されている。→ 深坂古道 紫式部の和歌解説板



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