勝持寺は、京都市西京区大原野南春日町にある天台宗の寺院である。
小塩山(おしおさん)大原院(だいげんいん)と号する。本尊は薬師如来像である。
寺伝によると、白鳳年間(672-686)に天武天皇の勅により役小角が草創し、延暦10年(791)最澄が伽藍を建立して、桓武天皇から「小塩山大原寺」の勅額を受けた。
のち文徳(もんとく)天皇の時代(在位850-858)に、春日明神の別当寺として大原院勝持寺と改めた。
足利尊氏の庇護を受けて隆盛したが、応仁の乱で焼失し衰退した。
本堂は、天正年間(1573-1592)に再建されたもので、江戸時代には、5代将軍綱吉の生母 桂昌院(大原野の出身)の援助を受けた。
寺宝として、木造金剛力士立像2体、木造薬師如来座像2体、大原野千句連歌懐紙(いずれも国の重要文化財)などを有している。
境内には、鏡石があり、鳥羽院の北面の武士であった佐藤義清(西行法師)がこの寺で出家した時、この石を鏡の代わりに使い剃髪したと伝わる。→ 西行法師ゆかりの地
西行はここに草庵を結び、一株の桜を植えたという。人々は西行桜と呼び、寺も「花の寺」と呼ばれて花の名所として知られるようになった。
太平記には、婆娑羅大名と呼ばれた佐々木道誉が、闘茶会を催したことが記されており、各種の花見の宴が開かれた。→ 勝楽寺(佐々木道誉公墓)
謡曲準鬘物「西行桜」は、都、西山、西行の庵室の庭の春の姿が描かれ、勝持寺が舞台と言われている。
老木の櫻の精が
「埋木(うもれぎ)の人知れぬ身の行方にも、心の花は残りけるぞや。
花見にと群れつつ人の来るのみぞ、あたら櫻の科(とが)にはありける。」
と、西行の歌を詠ずる場面がある。
JR京都線向日町駅からバスで南春日町下車、徒歩20分。参拝者用の駐車場がある。
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