垂仁天皇陵(宝来山古墳)は、奈良市尼辻西町にある。
古墳時代前期から中期にかけての築造になるとされる前方後円墳で、宝来山古墳の名称で呼ばれている。
南面する墳丘の全長は227m、後円部径123m、後円部高さ17.3m、前方部幅118m、前方部高さ15.6mで周濠を有し、この地域では最大の古墳である。
この古墳は垂仁天皇菅原伏見東陵に比定されている。
垂仁天皇については、日本書紀の中に、皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が亡くなった際に、人道的見地から殉死として生きた人を埋める風習をやめさせ、野見宿禰(土師氏の祖)の意見を取り入れて、初めて埴輪を作らせたとの逸話が残されている。
近鉄橿原線尼ケ辻駅下車、徒歩5分。
菓祖神 田道間守命御塚
垂仁天皇陵古墳の濠の東南に浮かぶ小島は、菓祖神 田道間守(たじまのもり)の墓とされており、濠端には拝所の石碑と鳥居がある。
垂仁天皇は、田道間守に命じて、常世国に遣わし、不老不死をもたらす「非時香果(ときじくのかぐのみ)」を求めさせた。
このとき田道間守が持ち帰ったのがタチバナで、日本の柑橘類の始まりとなったといわれている。
田道間守が出発から10年かけて常世国から「非時香果」を持ち帰ったとき、垂仁天皇は亡くなっており、これを知って嘆き悲しんだ田道間守は、垂仁天皇の陵墓を訪れ、泣き叫びながら絶命いたと言われている。
和歌山県海南市にある橘本神社は、田道間守が主祭神として祀られている。
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