墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)は、岐阜県大垣市墨俣町にある。
墨俣(すのまた)は洲俣あるいは墨股と書かれることもある。
墨俣城は、永禄9年(1566)織田信長が木下藤吉郎(豊臣秀吉)に命じて築かせた砦(とりで)である。
短時日に築かせたことから一夜城(いちやじょう)とも呼ばれる。
この地は、長良川をはじめ揖斐川、木曽川といった大きな川が流れ、尾張と美濃の国境に位置していた。
織田信長は、美濃稲葉山城の斎藤龍興(たつおき)を攻める橋頭保として築城にかかったが、佐久間信盛、柴田勝家の失敗のあと、藤吉郎に築城を命じた。
昭和52年(1977)に、愛知県江南市の旧家から代々伝わる前野家古文書の中から墨俣一夜城の史料が紹介されて築城の全貌が明らかとなっている。
藤吉郎は、濃尾の地理に詳しい蜂須賀小六などの協力を得て、柵などの用材をあらかじめ河川の上流に準備しておき、筏に組んで流し一気に築城するという斬新な方法で取り組んだ。
9月12日藤吉郎以下2000の兵が築城にとりかかり、13日の夕刻には馬柵と櫓がほぼ完成したという。
藤吉郎は築城の功績が認められ墨俣城主となった。
現在の模擬天守閣は、平成3年(1991)に歴史資料館として建造されたもので、1階は墨俣の歴史、2階は墨俣築城之巻などの展示がある。
城南側の犀川には、太閤出世橋が架けられており、橋と城の間には木下藤一郎秀吉の像がある。
城周囲には、当時の「藤吉郎の馬柵」が復元され、
西行法師歌碑(「春くれば うぐいすのまた 梅に来て みのなりはじめ 花のおわり」)、
阿仏尼歌碑(「かりの世の ゆきゝとみるも はかなしや 身をうき舟の 浮き橋にして」)、
近藤一鴻句碑(「わが郷に城趾のこり太閤忌」)
なども建てられている。
JR東海道線大垣駅からバスで墨俣下車、徒歩12分。城南側に来訪者用駐車場がある。
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