周防岩国吉川家墓所は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院の22町石と23町石の中ほど参道南側にある。
岩国藩は、江戸時代周防国(現在の山口県)の東部を領有していた。
藩主の吉川氏は、長州藩毛利氏の一門である。
幕府の公認した藩ではなく、長州藩内では支藩として扱われ、幕府に対しては家来と称し、藩ではなく岩国領と呼ばれた。
これは、初代藩主吉川広家(毛利元就の次男吉川元春の第三子)が、関ヶ原の戦いのとき東軍に呼応したことによる。
2019年の大名墓総合調査報告書によると、玉垣内に、2代目当主吉川広正夫婦など大型五輪塔6基、中型五輪塔3基がある。
また、玉垣外に吉川元春など五輪塔11基がある。