吉川元春供養塔

吉川元春供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院の22町石と23町石の中ほど南側で、周防岩国吉川家墓所の玉垣外西端にあり、北側が吉川元春、南側が嫡男吉川元長の供養塔である。
吉川元春供養塔(高さ168cm)の地輪には、西側に下記の文字が刻まれている。
  安藝國
  吉川元春
  (梵字)
  海翁正恵
  天正十四年十一月十五日
吉川元春(1530-1586)は、戦国時代の武将で、少輔次郎(しょうじろう)、治部(じぶ)少輔、駿河守と称した。
毛利元就の二男で、母は吉川国経(くにつね)の娘である。
天文16年(1547)に安芸国大朝新庄(おおあさしんじょう)の吉川興経(おきつね)の養子となり、弟の小早川隆景とともに毛利氏勢力として活躍し、「毛利氏の両川」と称された。
天正10年(1582)備中高松城の戦いで、毛利輝元が羽柴秀吉と講和した後、長子吉川元長に家督を譲って一度は隠居したが、秀吉の求めで九州征伐に出陣し、天正14年(1586)11月15日に豊前小倉城で病没した。


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