崇峻天皇陵は、奈良県桜井市大字倉橋にある。
「崇峻天皇 倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)」として、宮内庁が管理している。
崇峻天皇(?-592)は、欽明天皇の第十二子で、母は蘇我稲目の女、小姉君(おあねのきみ)である。
蘇我馬子に擁立され、倉梯柴垣宮で政務をとっていたが、即位5年後の崇峻5年(592)10月、天皇は猪を献上された際に、笄(こうがい)で猪の目を刺し、「いつかこの猪のように憎い者を斬りたいものだ。」と言い放った。
崇峻天皇が馬子への反感を募らせていたため、蘇我馬子は憎い者とは自分のことではないかと恐れ、部下の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を差し向けて暗殺し、その日のうちに「倉梯岡上陵」に葬ったといわれている。
現在の治定地は、崇峻天皇の位牌を祀る小寺があったことから、明治22年に御陵として認められたものである。
墳丘図によると、直径35m、高さ1mの円形の高まりが確認されるが、研究者の多くは赤坂天王山古墳が真の崇峻天皇陵ではないかとしている。
なお、大阪市天王寺区には、聖徳太子が四天王寺を建立する際に、叔父である崇峻天皇の霊を慰めるために創建した堀越神社がある。
近鉄大阪線、JR桜井線桜井駅からバスで倉橋停留所下車、徒歩3分。参拝者用の駐車スペースがある。
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