當麻寺は、奈良県葛城市の二上山雌岳の山麓にある寺院である。
寺伝によると、推古天皇20年(612年)に用明天皇の第3皇子麻呂子王が、兄の聖徳太子の教えを受け、河内国山田郷に萬宝蔵院禅林寺を草創した。
70年余り後、天武天皇白鳳11年(681年)に孫の當麻真人国見が、役行者練行の現在地に移し、寺号を當麻寺と改めたと伝えられている。
金堂、講堂が南北に一直線に並び金堂の南方両側に東西二つの三重塔が建ち、さらに本堂、仁王門などが独特の伽藍配置で並んでいる。
特に古代に建立された東西両塔(国宝)が現存しているのは當麻寺だけである。
宗旨は当初三論宗であったが、弘法大師が参籠してから真言宗に変わり、鎌倉時代には浄土宗の霊場ともなり、現在まで真言宗、浄土宗の二宗並立となっている。
金堂の本尊塑像弥勒仏坐像(国宝)や、中将姫伝説の綴織當麻曼荼羅図(国宝)、日本最古の梵鐘(国宝)など数多くの貴重な寺宝を有する。
ボタンの名所としても有名で、4月下旬からの開花期には多くの参詣者が訪れる。
平成30年7月14日から8月26日まで奈良国立博物館で「糸のみほとけ-国宝 綴織當麻曼荼羅と繍仏-」が開かれた。
令和4年7月16日から8月28日まで奈良国立博物館で「中将姫と當麻曼陀羅」が開かれた。
近鉄南大阪線当麻寺駅下車、徒歩15分。参拝者用の有料駐車場がある。→ 中将姫物語ゆかりの地
當麻寺練供養会式は、毎年5月14日中将姫(法如尼)の命日に行われる。
平成31年(2019年)から、熱中症対策のため毎年4月14日に行われることになった。
一般には、「當麻のお練り」「當麻レンド(レンゾ)」などと呼ばれているが、正式名は「聖衆来迎練供養会式(しょうじゅらいごうねりくようえしき)」という、歴史的に名高い法会である。
現在では全国各地で練供養が行われているが、寛弘2年(1005年)に恵心僧都 源信が始めたと伝えられるこの當麻寺の練供養が元祖だといわれている。
観音菩薩、勢至菩薩など二十五菩薩に扮装した人々が、極楽堂(本堂)から「来迎橋」を通って娑婆堂に赴き、中将姫を蓮台にすくい上げ、再び極楽堂に帰る来迎引接の様子が繰り広げられる。
観音菩薩は両手で蓮台を左右にすくい上げる所作を繰り返して進むことから「スクイボトケ」、続く勢至菩薩は合掌しながら練り歩くことから「オガミボトケ」とも呼ばれている。
中将姫は、右大臣藤原豊成の娘で、継母の仕打ちから逃れ16歳で當麻寺に入り得度して、禅尼とともに一晩のうちに蓮糸で當麻曼荼羅を織りあげたとの伝説が残されている。