平重衡塚

平重衡塚は、京都市伏見区醍醐外山街道町にある。
平重衡(1157-1185)は、平清盛の五男で、従三位左近衛中将である。
剛勇で知られ、治承4年(1180)5月源頼政を宇治で破り、同年12月には東大寺、興福寺を攻めた南都焼討事件の平家軍総大将をつとめた。
元暦元年(1184)一ノ谷の合戦で敗北し、捕らえられた。
後白河法皇は、重衡を説いて宗盛に三種の神器の返還を交渉させたが実現せず、のち鎌倉に送られている。
鎌倉では、源頼朝のもてなしを受けたが、南都側の要求によって奈良に送られる途中、木津川で斬首された。

この地は、平重衡の北ノ方大納言佐局(すけのつぼね)が、平家没落後に身をよせていたところと伝えられる。
鎌倉から奈良に護送される平重衡は、途中この地に立ち寄り、大納言佐局と別れを惜しんだ。
その情景は、付近の合場川、琴弾山の名と共に平家物語に美しく語られている。
木津川で首をはねられた平重衡の遺骸は、すぐに引取られ火葬後、骨を高野山に送り、墓は当地日野に設けられた。→ 高野山 三宝院
中央の石標には、「従三位平重衡卿墓」と記されている。
京阪電鉄宇治線六地蔵駅からバスで合場川下車、徒歩10分。



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