高田慎蔵夫妻供養塔(歌碑)は、和歌山県高野山奥の院にある。
豊臣家墓所の北隣平原地に高田慎蔵夫妻供養塔があり、台石上の五輪塔地輪部に次のように記されている。(山内潤三氏「高野山詩歌句碑攷」参照)
(東面)
徳壽院殿心月浄照居士
徳光院殿心蓮浄覺大姉
(西面)
明治四十三年三月廿一日建之
東京市本郷区湯島三組町五十八番地
高田慎蔵
高野山浮世の雲を
よそにして心しつかに
月をなかめむ
相川
(北面)
勲三等 高田慎蔵
太陰暦 嘉永五年壬子二月二日生
太陽暦 一千八百五十二年二月二十一日
太陰暦 大正十年辛酉十一月月二十八日歿
生干佐渡國雑太郎相川町天野雪翁次男
(南面)
慎蔵妻 高田多美
太陰暦 嘉永六年癸丑九月十日生
太陽暦 一千八百五十三年十月十二日
太陰暦 昭和六年辛未九月廿三日歿
太陽暦 一千九百三十一年十一月二日
生干武蔵國東京市本所區清水町
池田倉蔵長女
高田慎蔵(1852-1921)は、明治、大正時代の実業家である。
嘉永5年天野孫太郎の次男として佐渡相川で生まれ、4歳で高田六郎の養子となった。
明治3年(1870)から東京でアーレンス商会、ついでベア商会に勤め、明治13年(1880)独立し、ヨーロッパ視察後の明治21年高田商会を設立し、機械輸入販売に従事した。
高野山宝物館設立発起人にもなっている。
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