田村木国句碑

田村木国句碑は、和歌山県高野山大門広場の南隅にある。
石碑には次のとおり刻されている。
  山門を出でて秋日の谷深し  木国
高野山大門から西を眺めると、鳴子谷の先に葛城、和泉の山を一望することができる。
特に秋の夕刻には、太陽の沈む姿が美しく、多くの参詣客が静かに見入っている。
木国(もっこく)(1889-1964)は、本名を田村省三といい、新聞記者、俳人として活躍した。
全国高校春夏の野球大会(旧中等学校)創設の功労者として知られる。
田村木国は、明治22年1月1日に和歌山かつらぎ町笠田中で、寺子屋を開いていた文次郎の長男として生まれた。
2歳の時、父の就職に伴い大阪に移り、北野中学から三高に進み、中途退学した。
明治43年(1910)大阪朝日新聞社に入社し、社会部で全国中等学校優勝野球大会を創案し、大正4年(1915)8月18日に豊中球場で第1回大会が開催された。
昭和8年(1933)に大阪毎日新聞社に移り、整理部長、学芸部顧問を歴任した。
俳句においては、大正6年(1917)に高浜虚子に入門し、大正11年創刊の「山茶花(さざんか)」で活躍した。
昭和21年には同名の俳句誌 山茶花を創刊して主宰し、昭和39年に76歳で没した。
毎年夏に開かれる高野山の俳句大会には、選者として37回参加したという。
「秋郊」「大月夜」「山行」などの句集を刊行している。
句碑裏面には、昭和三十二年七月廿一日 総本山金剛峯寺 と刻されている。→ 高野山内の句碑


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