丹波亀山藩菅沼家供養塔

丹波亀山藩菅沼家供養塔は、和歌山県高野山奥の院22町石東にある。
数取り地蔵(授籌地蔵)横の参道を北西に約100m登った場所で、肥前(佐賀藩)鍋島家供養塔の更に奥に位置している。

中央の五輪塔は、丹波亀山藩2代藩主 菅沼定昭供養塔で、地輪には、次のように刻されている。
丹刕亀山城主
前菅沼左近将大夫
從五品源朝臣定昭
(梵字)爲
浄寂院殿傑叢全英大居士
入塚正保□□
□正保余年十二月廿一日建之

菅沼定昭(すがぬまさだあきら)(1625-1647)は、菅沼定芳の長男で、寛永20年丹波亀山城主となった。
正保4年9月21日に23歳で死去し、嗣子がなかったため、所領は没収された。

菅沼定昭供養塔の西隣には、一部倒壊した菅沼定芳供養塔がある。
菅沼定芳(すがぬまさだよし)(1587-1643)は、菅沼定盈(さだみつ)の六男で、兄定仍(さだより)の遺領をついで、慶長11年伊勢長島藩主となった。
その後、近江膳所藩をへて、寛永11年丹波亀山藩菅沼家初代となった。



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