丹後田辺城主 牧野家供養塔

丹後田辺城主 牧野家供養塔は、和歌山県高野山奥の院24町石北東にある。
井伊掃部頭霊屋に至る参道をさらに中の橋霊園方面に登ったところに建てられている。
5基ある五輪塔には、次の通りそれぞれ2名の法名が刻されている。

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考
 ①  牧野定成 天正元年
(1573)
峯樹院
徳川家康 家臣
牧野康成(やすしげ) 
慶長4年
(1599) 
見樹院  牧野信成の父 
 ②  武蔵石戸藩主 下総関宿藩主
牧野信成(のぶしげ)
慶安3年
(1650)
知見院  五輪塔一部倒壊 
丹後国 田辺藩初代藩主
牧野親成(ちかしげ) 
 延宝5年
(1677)
良園院 
 ③  丹後国 田辺藩二代藩主
牧野富成(とみしげ)
元禄6年
(1693)
覺樹院  
丹後国 田辺藩三代藩主
牧野英成(ひでしげ) 
享保元年
(1741) 
徳樹院   
 ④  丹後国 田辺藩四代藩主
牧野明成(あきしげ)
寛延3年
(1750)
淨照院
丹後国 田辺藩五代藩主
牧野惟成(これしげ) 
天明3年
(1783) 
嶺松院   
 ⑤  丹後国 田辺藩六代藩主
牧野宣成(ふさしげ)
文化8年
(1811)
松樹院  
丹後国 田辺藩七代藩主
牧野以成(もちしげ) 
天保4年
(1833) 
崇樹院   

丹後地方は、細川藤孝、忠興のあと、京極高知が領主となり、高知の死後、宮津、田辺、峯山の3つに分割された。
田辺藩の京極高盛が寛文8年(1668)に兵庫県の豊岡に転じ、牧野親成が田辺藩主となり、牧野家が転封されることなく明治時代を迎えている。
明治2年(1869)最期の藩主となった十代藩主 牧野弼成(すけしげ)は、藩名を舞鶴藩に改称した。



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