天河大辨財天社

天河大辨財天社(天河神社)は、奈良県天川村坪内にある。
祭神は、市杵島姫(いちきしまひめ)命、熊野坐(くまのにいます)大神、吉野坐(よしのにいます)大神である。
社伝によると、天武天皇の創立で、役行者が大峯開山の拠点にしたので、大峯本宮天河大弁財天社と称する。
大海人皇子は、壬申の乱に際し、霊験あらたかな辨財天に戦勝を祈願して勝利を収め、即位して天武天皇となった。
その後、天皇は辨財天の加護に報いるため、社殿を造営し、「天之安河之宮」とした。
この名称「天の安河」が天川の地名の由来となったともいわれている。
その後、弘法大師空海が高野山を開く前にここを拠点として大峯山で修行し、天河弁財天を琵琶山妙音院と号して、神仏習合の聖地としたといわれる。
宝厳寺竹生島神社、広島県厳島の大願寺、厳島神社などとともに日本三大弁天の一つと言われている。
南北朝時代、後村上天皇は、吉野から当地天川に逃れ、ついで西吉野の賀名生に御所を設けたが、皇族の多くが天川に住んだといわれる。神社西側には、南朝黒木御所跡がある。
また当社は能楽との関係が深い。世阿弥嫡男の観世十郎元雅(もとまさ)は、室町幕府6代将軍足利義教が音阿弥(観世元重)を重視したことから圧迫を受け、父世阿弥と共に演能を禁じられた。
父子が京都を離れて大和国越智氏領内に住んでいた時、所願成就のため、能面「阿古父尉」を奉納した。
江戸時代初期には、当地を本所とする能楽座が結成されたほか、中央から能楽者の来演も行われた。
7月17日の例大祭には、観世座の奉納が行われる。当社には、能面、能装束が多数奉納されている。
江戸時代放浪の僧円空も大峯の地で修行し、当社には「大黒天」が奉納されている。


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