東大寺 三月堂 法華堂

東大寺 三月堂 法華堂は、奈良市にある。
法華堂(国宝)は、東大寺要録に天平5年(733)の創建と記され、東大寺に現存する最古の建物として知られる。
東大寺の寺域にはかつて金鐘寺(きんしょうじ)(金鍾寺(こんしゅじ))と呼ばれた寺院があった。
この金鐘寺は、聖武天皇の皇太子(基親王)の菩提を弔うために設けられた山房をもとに発展した寺院であると考えられており、
その後 福寿寺と併せて大和国分寺にあてられ、聖武天皇によりこの地に廬舎那仏が造立されると、これらの伽藍全体が東大寺と呼ばれるようになった。

三月堂(さんがつどう)は、東大寺法華堂(ほっけどう)の通称である。
不空羂索観音菩薩(ふくうけんじゃくかんのんぼさつ)像を本尊とすることから、古くは羂索堂と呼ばれた。
平安時代には、この堂で旧暦3月16日に法華会(ほっけえ)が恒例的に行われたため、法華堂、三月堂と称するようになった。

天平時代には寄棟造の正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)が軒を接していたが、鎌倉時代に重源が大仏様を加味して、礼堂を入母屋造りに改築して融合させた建物である。
時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和の採れた美しい姿を見せている。

堂内には10体の仏像が安置され、そのすべてが奈良時代に造られたもので国宝に指定されている。
須弥壇中央の八角二重の仏壇上に安置されている本尊 不空羂索観音菩薩像は、高さ362cmの乾漆像である。
乾漆像とは、木や粘土でおおよその形をつくり、その上に麻布を貼って漆で塗り固めたもので、粘土の場合は、粘土を抜いて木の枠を入れている。
羂索とは、もとは猟や戦闘に使うための投げ縄で、縄の一方に「かん」、もう一方に独鈷(とっこ)の先端がついており、その縄ですべての衆生を救うとされている。
三目八臂(さんもくはっぴ)(三つの目と八本の腕)の姿で、銀製宝冠をかぶっている。

本尊背後の厨子内には、執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう)(像高170cm)が祀られている。
執金剛神とは、両端に鋩(きっさき)を作る金剛杵(こんごうしょ)(ヴァジュラ)という武器を持つ神の意である。
執金剛神は、常に釈尊に付き従い、非法の者があれば手にする金剛杵でこれを破砕する存在として経典に登場する。
秘仏のため、極彩色の文様が良く残り、毎年12月16日の良弁忌に開扉される。
開山 良弁僧正の念持仏で、天平5年(733)の作と伝えられ、天慶年間(938-947)の平将門の乱の際、元結の右端がハチとなって将門軍を悩ませたとの伝説がある。→ 東大寺別当 良弁僧正ゆかりの地



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