紀州藩城代 戸田金左衛門清堅(清賢)供養塔

紀州藩城代 戸田金左衛門清堅(清賢)供養塔は、和歌山県高野山奥の院21町石西北にある。
下記写真の左側には、日向高鍋藩秋月家供養塔が写っている。

戸田金左衛門清堅(清賢)供養塔の地輪には、次のように刻されている。
生國三州渥美郡大津
城主戸田金左衛門尉
藤原朝臣清賢爲菩提
(梵字)雄山全威居士
施主孝子十郎左衛門尉
藤原朝臣清正建立之
旹承應三甲午年五月五日

南紀徳川史第5冊によると、戸田金左衛門清堅は、戸田三郎九郎清光の嫡男として生まれ、徳川家康に仕えた後、大坂の陣以降、家康10男の徳川頼宣(南龍院)に仕え、紀州藩で活躍した。
正保2年(1645)に隠居し、家督を嫡子十郎左衛門清正にゆずり、承応3年(1654)80歳で病死した。



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