富安風生(とみやすふうせい)句碑は、和歌山県高野山奥の院の多田満仲供養塔北側にある。
石碑には、次のように刻されている。
一山の清浄即美秋の雨 風生
富安風生(1885-1979)は、大正、昭和期の俳人である。本名謙次。
愛知県出身で、一高、東京帝大卒業後、逓信省に入った。
大正7年(1918)福岡勤務の時に、吉岡禅寺洞(ぜんじどう)らと句作し、東京帰任後、高浜虚子に師事して、水原秋桜子らと東大俳句会をおこした。
昭和3年(1928)俳誌「若葉」を創刊主宰し、昭和12年(1937)に逓信次官で退任後は句作一途で、その句業によって昭和46年(1971)芸術院賞を受賞している。
昭和50年(1975)芸術院会員となり、水原秋桜子と共に俳壇の巨匠と呼ばれた。
「草の花」「松籟」「晩涼」「古稀春風」「喜寿以後」「齢愛(よわいいと)し」などの句集がある。
昭和54年2月22日に93歳で没した。
石碑は、昭和39年に建立された。 → 高野山内の句碑