遠江相良藩 田沼家供養塔

遠江相良藩 田沼家供養塔は、和歌山県高野山奥の院31町石西にある。
加賀金沢 前田利長夫人供養塔の北側から、参道に西に入り、関宿城主 久世家供養塔の先の斜面上に位置している。
墓所には、角柱墓標1基、屋根付墓標1基、宝篋印塔1基がある。

写真向かって右側の角柱墓標各面には、次のように刻されている。
     松江院殿休翁浄閑居士
(梵字)
     榮珍院殿椿窓妙壽大姉
施主 武刕児玉郡若泉荘本庄町
    内田七左衛門藤原吉房
元禄八乙亥年
三月廿一日建立
宿坊南谷大樂院

写真中央の屋根付墓標南面には、覺仙院、法雲院と刻されている。

写真向かって左の宝篋印塔各面には、次のように刻されている。
隆興院殿齒塔
天明八戊申年
七月廿四日卒
田沼氏
宿坊
   大樂院

田沼家は、元は藤原氏(後に源氏に改姓)で佐野庄司成俊の後裔といわれる。
成俊六代後の壱岐守重綱が、鎌倉時代に下野国安蘇郡田沼邑に住んで、「田沼」と称した。
上杉家、武田家の家臣を経て、紀州藩初代徳川頼宜に仕えた。
その後、田沼意行(もとゆき)が、紀州藩から将軍になった徳川吉宗に従って江戸行き、旗本(小姓)として、600石を賜ったという。
宝篋印塔の隆興院殿は、田沼意次(おきつぐ)である。
田沼意次(1719-1788)は、意行の長男として生まれ、将軍側近として老中、相良藩初代藩主となった。
その後、将軍家治の死を契機に失脚し、天明8年7月24日に江戸で亡くなり、駒込勝林寺に葬られた。



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