釣鐘屋敷跡 大坂町中時報鐘(時の鐘)

釣鐘屋敷跡 大坂町中時報鐘(時の鐘)は、大阪市中央区釣鐘町にある。
寛永11年(1634)7月、江戸幕府三代将軍 徳川家光が大坂城を訪れた際に、大坂三郷の惣年寄りが今市(旭区今市町)で迎えて、三樽の鰹節を献上したところ、大坂三郷の地子銀(じしぎん 固定資産税)が免除されることになった。
これに感激した郷民が永くこの恩恵を忘れぬため、釣鐘を鋳造し、釣鐘屋敷を建てた。
鐘の銘文は、谷町筋寺町西側(現谷町三丁目)大仙寺の龍厳和尚が書き、寛永11年(1634)9月一心寺の在牟上人が導師となって開眼供養が行われた。
釣鐘は、1日に12回鳴らされて時報の役割を果たし、鐘の音は、現在の天満橋から梅田あたりまで聞こえたという。

近松門左衛門の名作「曽根崎心中」では、お初徳兵衛の最期の道行の場面で「暁の鐘」としてこの鐘が登場し、次の義太夫節が語られる。
「此世のなごり夜もなごり 死にゝ行く身をたとふれば あだしが原の道の霜 一あしづゝに消えてゆく 夢の夢こそあはれなれ
あれかぞふれば暁の 七つの時が六つなりて のこる一つが今生の、鐘のひゞきのきゝおさめ 寂滅為楽(じゃくめついらく)とひゞくなり
(中略)
誰(た)が告ぐるとは曽根崎の、森の下風音にきこえ、とりつたえ、貴賤群集(きせんぐんじゅう)の回向のたね
未来成仏うたがひなき、恋の手本と成りにけり」

明治3年(1870)、釣鐘屋敷の「時の鐘」は廃止となり鐘楼は撤去されて、釣鐘は長光寺、府立博物館を経て、大正15年(1926)から大阪府庁屋上に保存されていた。
その後、昭和60年(1985)に釣鐘屋敷跡の当地に戻され、鐘楼も新たなデザインのものがつくられた。
「釣鐘町」の町名は、この鐘が由来となっている。
釣鐘は、現在も一日3回鳴らされている。
昭和45年(1970)に「大坂町中時報鐘(おおさかまちじゅうじほうしょう)」として、大阪府の文化財に指定された。

大阪メトロ谷町線天満橋駅下車、徒歩10分。




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