つるべすし 弥助は、奈良県下市町にある。
歌舞伎 文楽の義経千本桜鮨屋の段に登場する「釣瓶鮨屋」として知られている。
建物外観と内部は、茶の湯的・建築 庭園 町並み観賞録に詳しい。
釣瓶鮨屋由緒には、次のように記されている。
大和吉野川の鮎を鮨となし、釣瓶形曲桶に漬けて釣瓶鮨をつくる。
其の形釣瓶に似たるを以てその名あり遡る千余年前に始まる。
文治年間三位中将維盛卿八島(屋島)敗軍の後逃れて遂に熊野に先行せらるゝの途次、
父平重盛公の旧臣宅田弥左衛門の家に久しく潜匿せらるゝに際し名を弥助と改む。
世俗伝うる処の「院本義経千本桜」其の三段中託する処の釣瓶鮨屋弥左衛門は即ち宅田弥助の祖先なり。
其の頃今の庭園を築き維盛塚、お里黒髪塚 お里姿見の池など此の内に存在せり。
爾来系統連綿相継ぎ釣瓶鮨商を業となし以て今日に達す。
慶長年間後水尾天皇の朝に当り仙洞御所へ鮎鮨献上せしむるの命あり
それより「御上り鮨所御鮨屋弥助」と格式御許容相成り自今屋上に揚ぐる処の招牌は御所より賜ふ所なり。
四九代店主 宅田弥助 謹白
竹田出雲、三好松洛、並木千柳作の「義経千本桜」では、次のように浄瑠璃節が語られる。
春はこね共 花咲す 娘が漬た鮓(すし)ならば なれがよかろと 買にくる
風味も吉野 下市に売弘(うりひろめ)たる所の名物 釣瓶鮓(つるべずし)やの弥左衛門
留守の内にも 商売にぬけめも 内儀が早漬に 娘お里が肩綿襷(かただすき)裾に
前垂ほやほやと 愛に愛持つ鮎の鮓 押へてしめて なれさする
味(うま)い盛の振袖が 釣瓶鮓とは 物らしし
(出典 新日本古典文学大系 93 竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集)
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期