上田胸切地藏

上田胸切地藏は、大阪府河内長野市にある。
野耀山増福寺にある案内板には、次のように記されている。

二、 上田胸切(むなぎり)地藏の由来
江戸時代初期に泉州堺のある資産家の娘が紀州橋本にある富豪の娘と婚約がととのい、
吉日を選び花嫁が駕籠にのり、嫁入り道具を多くの人夫にかつがせ、西高野街道を通り
上田のこの急勾配の坂にさしかかった時、南の方から一人の男が息を切らして駆けつけ、
「私は橋本の婚礼先から参ったものですが、今朝花婿になる息子さんがどういうわけがあったのか、
傳家の宝刀で自殺を遂げたとの事をお伝えに使いとして参った」とのこと。一行は一旦堺へ引き返す事になった。
その時駕籠の中よりただならぬ叫び声が聞え、駕籠の戸を開けてみると、花嫁は着飾った晴れ着を鮮血に染め、
親元より用意の短刀を逆手に持ってわが胸を突き切っており、手当の施しようもなく、絶えいる息の下より
「我が家を出るときに、女と生まれて一旦他家へ嫁いだ以上決して二度と実家には戻れないと常々両親から教えられ、
自分にも深く心に誓っていた。それに今生涯の夫と定めた人が死んでしまった、かくなるうえは生きて実家に返れませぬ」
といい残しこの坂道で亡くなったという。
上田村民はこの花嫁の霊を慰めるために相談し、この坂道に石地蔵尊を建ててお祀りし、胸切地藏として供養した。
又この阪を胸板坂とよぶようになった。
この胸切地藏は急勾配の坂の下り口の西側にお祀りされていたが現在は少し上の交差点に移されお祀りされています。



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