宇治陵32号陵は、京都市宇治市にある。
宇治陵は、藤原冬嗣から始まる藤原北家の長者と、皇后となった子女、親王からなる藤氏(とうし)一門の墓所で、明治10年(1877)皇室関係者の墓域として37ケ所が宮内庁の管理となった。
当地の32号陵の入口には、「(表面)宇治陵 宮内庁 (裏面)三十二」と刻した石柱がある。
山中裕氏の「人物叢書 藤原道長」(2008年刊)によると、藤原道長は法成寺で死去し、鳥戸野で葬送された後、木幡に葬られた。
道長の墓所について、山中氏は次のように記している。
大津透氏は、浄妙寺・金峯山・木幡の墓などについて詳細に述べ、道長一族の墓について調査した結果、道長の墓は、頼通が墓参した記述から、北に少しはなれ丘陵を登りつめた三二か三三号墓かと推測されている。
そして、「藤原氏のように現在まで子孫は続いていても、個人としては墓がわからなくなってしまったのである。」と述べている。(「道長と宮廷社会」)
→ 藤原道長建立浄妙寺跡 藤原道長の墓所について
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