羽州新荘城主 戸澤家供養塔は、和歌山県高野山奥の院30町石南西にある。
江戸焼死者追悼碑の上段にある。
「高野山奥の院の墓碑をたずねて」(案内図)には、羽州最上郡戸澤左京亮と表示されている。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、大型五輪塔1基、中型五輪塔5基、小型五輪塔3基がある。
当地の墓所中央の大型五輪塔は、出羽新庄藩初代藩主 戸澤政盛供養塔である。
五輪塔地輪には、次のように刻されている。
生國羽州最(異体字)上郡新城城主戸澤
右京大夫平朝臣政盛成三?菩提
為前京北大夫
(梵字)源勝院殿庭山
前公大居士也
施主孝子戸澤千代鶴平朝臣
勝成三?建立之
干時慶安元戊子年正月廿二日
戸澤家は、桓武平氏で、大和国に生まれた平衡盛が源義仲に従った後、元暦元年(1184)不和となって奥州に降り、陸奥国岩手郡戸沢(岩手県雫石町戸沢)に住んで戸沢氏を称したのが祖といわれる。
その後、各地を経て、豊臣秀吉から出羽国角館で4万4千石を安堵された。
戸澤政盛(1585-1648)は、関ヶ原の戦いで東軍に属し、慶長7年(1602)常陸松岡藩(4万石)に入封し、元和8年(1622)出羽新庄に移った。
新庄市瑞雲院にある同家墓所は、国指定史跡となっている。→ 出羽新庄藩 戸沢正庸供養塔
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