出羽新庄藩 戸沢正庸供養塔は、和歌山県高野山奥の院25町石南東にある。
伊勢桑名城主 本多忠勝供養塔の参道を隔てた対面の奥まったところに位置している。
五輪塔地輪には次のように刻されている。
(正面)
元文五庚申年十二月廿七日□
源徳院殿前和州大守
(梵字)
龐山常隆大居士
施主羽州新荘城主戸澤孝次郎
(側面)
明和六□□□
六月
戸沢正庸(まさつね)(1664-1741)は、戸沢家の重臣 楢岡兵右衛門友清の四男として生まれた。
父の友清は、戸沢藩第2代藩主 戸沢正誠の実母の弟であったため、実子が相次いで早世した藩主から、正庸が養嗣子として指名され、宝永7年(1710)養父の隠居により家督を継ぎ、出羽新庄藩第3代藩主となった。
藩財政が悪化したため、正徳年間に地方(じかた)帳を整備し、倹約令を出すなどしたが、成果はあがらなかった。
元文2年に三男の正勝に家督を譲って隠居した後、元文5年12月27日に死去した。
当地五輪塔の施主 孝次郎は、出羽新庄藩第6代藩主 戸沢正産(まさただ)の幼名である。→ 羽州新荘城主 戸澤家供養塔
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