史跡 伝和田賢秀墓は、大阪府四條畷市にある大阪府指定史跡である。
和田賢秀(わだかたひで/けんしゅう)は、南北朝時代の武将で、楠木正成の弟 正季の子である。通称は新発意(しんぽち)。
和泉国大鳥郡和田村(大阪府堺市)に住して和田氏を称したが、常に楠木氏の惣領 楠木正行(正成の長子)に従って行動した。→ 楠木正成 正行ゆかりの地
正平2年(1347)11月末、正行に従って、幕府方の山名時氏、細川顕氏らを摂津住吉、天王寺に攻めて大勝したが、翌年(1348)正月5日、高師直軍と河内四條畷で激戦となり敗死した。
伝説によると、和田賢秀討死の際、敵の首に噛み付き睨んで放さず、敵はそれがもとで死んだと言われている。
あるとき地元の人が歯痛で苦しんだ時にこの賢秀の墓で祈願して治ったことから、「歯神さん」と呼ばれて信仰されるようになった。
墓所には、天保2年(1831)に作られた位牌型の墓石が建立されている。
JR学研都市線四条畷駅下車、徒歩10分。
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