若狭小浜藩 酒井家供養塔

若狭小浜藩 酒井家供養塔は、和歌山県高野山奥の院32町石北東にある。
其角句碑から分かれた右参道の東側で、玉川との間に位置している。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、墓域内には大型五輪塔4基、中型五輪塔11基がある。
主な石塔は次の通り。(水原堯榮氏「高野山金石図説」参照)

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考
 ① 若狭小浜藩 初代藩主
酒井忠勝の長男
酒井備後守忠朝
寛文2年
(1662)
3月24日
用運院殿
獨立葉山大居士
建立者
酒井修理大夫忠直
(酒井忠勝の四男) 
 ② 酒井忠朝公追服
青山一角
寛文2年
(1662)
2月(?)24日
玄無雷菴 同上 
 ③ 酒井備後守殿御内儀 元和6年
(1620)
桃嚴宗仙
大禪定尼
建立者
孝子讃岐守 
 ④ 河越城主
酒井備後守
老中 酒井忠利
寛永4年
(1627)
泰雲建康 施主
孝子讃岐守
(酒井忠勝)
④と⑤の間  武刕江戸
酒井左京殿 
寛永13年
(1636) 
月桂院殿
劔受宗刃居士 
施主
舎弟蔵人殿 
酒井讃岐守息女  寛永13年
(1636) 
松岩院殿
花桂宗心大姉 
施主
秀(?)様 
⑥  酒井雅樂頭忠光公  寛永元年
(1624) 
寶樹院殿
繁林源昌大禪定門 
施主
川越城主
酒井備後守忠利 
⑦  酒井讃岐守忠勝御内儀  寛永13年
(1636) 
心光院殿
星譽瓊琳周榮大姉 
施主
孝子備後守忠朝 
⑧  若狭小浜藩 初代藩主 老中
酒井 讃岐守 忠勝 
寛文2年
(1662) 
空印寺殿
樂傳長英大居士 
施主
孝子酒井修理大夫忠直 
⑨  酒井民部  寛永17年
(1640) 
達觀恵通
大禪定門 
施主
御父□□殿 
⑨と⑩の間  青木主殿助忠城  寛永21年
(1644) 
清巖院殿
三衆一玄 
施主
酒井備後守忠朝 
⑩  江戸旗本
酒井下総守御内方
慶安3年
(1650)
宗清院殿
□□春大
不詳 

酒井忠勝(1587-1662)は、江戸時代前期の譜代大名である。3代将軍家光、4代将軍家綱時代の老中として活躍した。
雅楽助酒井家の分家 備後守酒井忠利の長子として三河(愛知県)に生まれた。
元和6年(1620)2代将軍秀忠の世子(せいし)家光に付けられ、家光が将軍となった翌年 寛永元年(1624)には、老中となった。
1634年武蔵川越藩主から若狭小浜藩主(11万3千石)となり、晩年は空印と号した。
墓所は、福井県小浜市の空印寺にある。小浜城本丸跡には、忠勝公を祭神とする小浜神社がある。



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