山浦清磨墓所

山浦清磨墓所は、和歌山県高野山の奥の院にある。
奥の院25町石の西約20mのところに位置しており、墓所参道に面しているが、墓石は東向きに建てられている。
南隣には、伊藤氏墓、一捕・完来句碑がある。
墓石には次のように刻されている。
(東面)山浦清磨之墓
(北面)安政元卯十一月十四日寂
(南面)東部
    栗原筑前守平信秀建立
墓石北には隣接して、「藤代義雄先生を慕う」と題した墓碑(昭和42年建立)が建てられている。

山浦清磨(1813-1855)は、源清磨(みなもときよまろ)とも呼ばれ、江戸時代後期に活躍した刀工である。
本名は、山浦環(やまうらたまき)で、師匠であった旗本の兵学者 窪田清音(くぼたすがね)から「清」の一字をもらい「清磨」した。本来は「すがまろ」であるが、「きよまろ」で広く知られている。
栗原(筑前守)信秀は、文化2年(1815)越後に生まれ、嘉永元年(1848)34歳で江戸に出て窪田清音を介して、源清磨に弟子入りした。
名刀剣師として知られ、慶應元年に筑前守を受領した後、当地の墓石を建立し、蓮華定院に永代供養のための位牌を納めている。明治13年(1880)に没した。



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