楊枝薬師堂

楊枝薬師堂は、三重県熊野市にある。
禅宗の浄楽寺境内にあったが、同寺は明治初年廃寺となり、薬師堂だけが残った。
現地の案内板には、次のように記されている。

 熊野市指定文化財
  楊枝薬師堂
 楊枝薬師は、京都三十三間堂棟木の霊地として、頭痛平癒、病気療治に顕著な霊場である。
 二条天皇の永暦(歴)年中(一一六〇~六一)、先帝の後白河法皇が頭痛のために苦しまれ、自ら都の因幡薬師堂に籠り、平癒祈願をなされました。
 伝承によれば、或る夜、金色の御佛が現れ「我は薬師如来である。熊野川のほとりに楊(やなぎ)の大樹あり、かの楊を切り都に大伽藍を建立し我が像を彫刻しまつれば頭痛は癒えよう」と告げられ早速切らせましたが、大樹のため動かすことができず難儀していたところ、不思議にも水中から天女が現れ、神力で軽々と京まで運ぶことができました。「柳のおりゅう」のことです。そして、長寛二年(一一六四)に蓮華王院、即ち三十三間堂が建立されました。
 その後、頭痛は平癒し、熊野楊枝の郷の楊の切り跡にも七堂伽藍が建立され、直作の薬師如来が本尊として崇められました。
 熊野の楊をもとに三十三間堂を建立したという話は、楊枝の楊の大木が信仰の対象として崇められ、後に熊野へ頻繁に御幸された後白河法皇を主役とし、それに薬師如来と観音信仰を結び付けて、正月の重要な行事である楊枝浄水供養が行われる京都の三十三間堂との関係を縁起としていったものと考えられる。
   指定 昭和四十年二月一日
    熊野市教育委員会

人形浄瑠璃 文楽の「三十三間堂棟(木)由来(むなぎのゆらい)」(「祇園女御九重錦(ここのえにしき)」の三段目)においても、白河法皇の頭痛と柳の関係が語られている。→ 卅三間堂棟木由来



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